2016年8月20日土曜日

天球儀@紀伊國屋ホール

舞台「天球儀」を観た。
加納幸和、天球儀、誰も知らない「蓬茨奏音」、その死を悼む、殺人事件の起こらないミステリー、
脳の機能をつかさどるスフィア。
これらのキーワードにそそられて、観ることを決めた。

全員の群唱からはじまるこのお話、不思議に揃う違う質の声にぞわっとした。
まったく違う声=人、なのに、「同じ」。
この気持ち良さみたいな気持ち悪さみたいな不思議な感覚。
これ、見終わったあと何日かして「ああ!そういうことか」と、伏線だったと気付いた。

設定もSF的で興味深かった。
人間の脳の機能低下を補う外部記憶装置「スフィア」。
装置に任せるわけだから、「忘れる」ことがない。
忘れたい(忘れなければいけない)記憶は、スフィア・カウンセラーが物理的に消去する。

そもそも人は、良くも悪くも忘れる生き物で、だから人間らしいと思うの。
自分にとって大事なことは覚えているし、興味のないことは忘れてしまう。
その判断基準て人それぞれだから、だからいろんな性質の人がいる。
ほんとうにスフィアにとって代わったら、全員同じ性質の生き物になりそうだ。

で、この天球儀に集められた、まったく共通点がなさそな7人には、ある共通点があるのだけど。
本当にスフィアに頼る世界に生きていたとしたら、その中でその7人は、
”いま私が生きている世界の人間らしさを持った人たち”なんだろうと思った。

思春期ど真ん中の中学~高校の時代、私は、死んだら魂はどこに行くんだろうとぼやっと考えたり、
しんと空気の澄んだ暁の空をみては、何か思い出しそうな、哀しいような気持ちになったりしたものだ(中二病てやつだろうか、苦笑)。

あのね、オカルトなこと、私はすこし、あると思っている。輪廻転生みたいなこととか。
だって、知らない人や曲や絵についてこんなにも惹かれたり、郷愁を覚えたりってことある?
て思うことがあるから。
ちょっと話題がそれたが、天球儀は、そんな気持ちを思い出させるお話だった。

終わり方は、どうなんだろう。うーむ。
みんなの記憶は、富さんが消したのだろうか。
富さんは、どこへ行くのか。蓬茨奏音とともに、消えたのだろうか。
ちょっと疑問というかスッキリしないところはあるけど、要所要所に笑いが入っていて、観ていて楽しかったでした。

ひとりごと、花組芝居の加納さんはもちろん大好きだけど、時代物が多いでしょ。
外部だと、現代劇の加納さんを見られて、いいんだよねえ。好きです、加納さん。
(あー剃刀もう一回観たいなあ)


◆出演
春海 宗太郎…多田直人  富 柊子…新垣里沙  出口 園…西川俊介
大師堂 由惟…緒月遠麻  鏑木 和土香…松本慎也  剛立 忠実…大家仁志
國枝 世寿見…加納幸和


◆おまけの観光
ニコライ堂、黒鳥の湖(←並べて書いてはイケナイ感じだわ…)