家族と疎遠の作家である定男は、五年ぶりに帰省する。
作家として成功をおさめている定男であったが、誰もその話に触れようとしない。
むしろその話を避けている。家族は定男の仕事に良い印象を持っていないのだ。
定男は切り出す。
「......今度の新作は、この家族をありのままに描いてみようと思うんだ」
家族とは、仕事とは、表現とは、人生とは、愛とは、幸福とは、親とは、子とは、
様々な議論の火ぶたが切って落とされた。 本音をぶつけあった先、その家族に
何が起こるのか。
何が残るのか。
◆感想
観ていて苦しかったお芝居。
久しぶりにあう父子のぎくしゃくした会話も。
「家族だからこそ心にしまっていたこと」を吐き出しあうシーンも。
「サダオはちゃらんぽらんで、苦労したことがないから~」という家族。
「芝居も見に来たことがないのに、俺が苦労していないとなぜ言える?」とサダオ。サダオが営業マンである兄に「自分にはできない仕事。尊敬する」というと、
兄は「その言い方、嫌味だな、どうせ馬鹿にしてるんだろ」と反論。
お父さん子だと思っていた妹は、「お父さんが一人でかわいそうだったから、一緒にいた。お兄ちゃんの代わりに私が息子になろうと思った」と告白。
(子供時代、宗教にはまった母は兄をつれまわして宗教活動していたため父は一人…)
「家族だから」こそ他人とは違う気の遣い方をするし、言えないこともある。
一緒に暮らしていたから相手のことを知っているつもりでも、実は違う。
「家族だから」こその苛立ちや諦めや、過去にあった「なかったことにしたい」こと。
苦しかったのは、家族の中でのタブーをあんなふうに直接的に言葉にされて、
(エピソードは違えど)私自身と家族とのかかわりが浮き彫りにされたようだったこと。
そしてきっと(うちなら)、吐き出しあっても、それがまた無かったことになって、
なんとなく収まっていくだろうということ。それはそれでタブーが増えるだけだ。
ラストは、ぜんぶ吐き出した後に、これからどうするのか、家族はどう考えるのかを、
観客にゆだねる終わり方だった。
ゆだねられた私の答えは「タブーが増える」だったから、苦しさは消えなかった。
それと、「消えていくなら朝」というタイトルの意味がわからなかった。
◆出演
鈴木浩介/山中 崇/高野志穂/吉野実紗/梅沢昌代/高橋長英