顔のペイント、派手な衣装とかのヴィジュアルや、何曲かくらいはラジオで
聴いたことがあるという程度。
はじめて名前を意識したのは、楠本まきさんの漫画だったと思うけれど、
昔好きだったヴィジュアル系バンドのインタビューでもよく出てきていたので
なんとなく知った気になって、ちゃんと観たり聴いたりしていなかった。
今回の回顧展の開催が、足を踏み入れる良いきっかけになった。
入場までの待ち時間、エレベータわきのモニタにずっと
「デイヴおじさんから君へ、ハッピーバースデー」の映像が流れていた。
とてもやさしいまっすぐの目、照れ笑うやわらかい雰囲気に、今までに知る
印象とのギャップに、すでに涙が出そうだった。
入場してすぐ、若いころの写真やポスターなどが展示された奥にインタビュー映像
が流れていたが、「なりたいものになる」という言葉がとてもボウイを表している
気がして。ボウイのボウイたる所以だと、本質だと感じたのだ。
例えば、賢い人だと思われたくて、むつかしい小説をいつも胸ポケットに入れてる。
でもちゃんと読むから身になっていく。
演じることをずっと続けると、それが自然になり、演じなくても良くなる。
そうしてデヴィッド・ボウイができたのだと。
他には、作詞をするにあたって、単語をランダムに組み合わせて出力するソフトを
使っていたのも面白かった。当時としては画期的だったろう。
機械的に無意味に組み合わせられたはずの言葉が、偶然に意味を持ったり
作られた言葉からインスピレーションが生まれたり。
もうすべてが見どころであるので、たった一回では、吸収が追い付かない。
見終わって、ぜったいにもう一回来る。と決意したのであった。
(後日談。翌週、二回目を見に行くことができた)
今年の4月は、自分の中で、今までと違う「新年」という感覚がある。
なんとなくだけれど、切り替えとか、方向性が決まるみたいなイメージだ。
きっかけとなる突発的な外的要因は特になくて、ここ数年ばらばらに思って
いたことが収束している感じ。
今みたいな感覚のときに触れたもの、普段よりよく吸収することを知っていて、
だからこの時期に見たもの聴いたものは自分にとって必要なもので。
もうすぐ終わってしまうデヴィッド・ボウイ回顧展に間に合ったこと、
普段あまり開かないFBで見つけたこと、見に行く計画がすんなりたったことも、
今の自分に必要なことだから、無意識に呼び寄せたのかなあと勝手に思っている。
偶然のような必然のような出会いに感謝。