歌舞伎は「好き」というより「興味がある段階」といったほうが正しい。
まったくもってニワカで、古典の筋だってよく知らないし台詞も全部は聞き取れない。
そういう私ですが、今回のお芝居も楽しめました。
花組芝居の良さってそういうところなんだなと改めて思った良い機会でした。
古典歌舞伎という意味では、義経千本桜を全段2時間45分で上演することは、
ものすごい挑戦(ですよね?きっと)。
特に古典では、まずお話の概要を知っているか知らないかによって大きな差があって、
ふだん使い慣れない言葉の海では、初見や私みたいなニワカでは、100%楽しむことは
できないと思うのです。
それを緩和させて、知らない人もわかる。楽しむことができる。
これが花組芝居の花組芝居たる所以だと思うのです。
だからたくさんの人に観てほしい。
今回、3つの驚きがありました。
一つ目は静御前を演じた永澤さん。
所作がとても美しくて、花組芝居のベテランさんだと思い込んで「誰?」と思って。
声もとても綺麗で。まるで入りたてとは思えなかった。
二つ目は狐の田仁屋さん。
身体能力の高さと、何といっても可愛らしさにズキュン。
欄干から足を外すのにはヒヤッとしました。
二回観て、お芝居と知ってホッとしました。
三つ目は桂さん。
碇を括り付けて、放った後の足の裏。
碇の重さに負けて腰から引っ張られる、足の裏が見える感じ。
控えめに言って最高でした。
三つ目は、歌舞伎に精通している、一緒に行った友人が教えてくれました。
歌舞伎を知らなくても楽しめるけれど、知っているともっと楽しい。
花組芝居はそれを教えてくれる、ネオ歌舞伎団体なんだなあと、心の底から思いました。
今度の公演も、楽しみにしています。
ありがとうございました。
2019年12月22日日曜日
2019年12月6日金曜日
マツダユウジさんについて
twitterで、マツダユウジさんの訃報を知った。
松田さんのことは、今はなきGazioで開催していた
「ニューウェーブとはなんだったのか」というイベントで知ったのだった。
注釈
松田さんは、平沢さんが「旬」というユニットを組んでいた時のメンバー。
覚書によれば、2015年11月22日(日)。
Gazio最後の日(閉店)が、2015年11月末日と発表された後だったので、
それまでに何とか口実をつけてGazioに行きたいと思ったのが参加の発端。
失礼ながら、名前を聞いてもピンと来ない状況での参加だった。
松田さんの印象はというと、自身が興味があることをとことん楽しんでいる人。
そして、音楽の人というより技術屋さんという印象を持った。
(EnergyWorksの頃の平沢さんの印象に近い)
当日のことは別途ブログに書き起こしているので興味がある方はこちらへ。
ニュー・ウェイヴとカフェ/クラブ〜 松田勇治が語るナイロン100%からGazioまで 〜
このブログには後日談があって、twitterで掲載報告をしたら、松田さんご本人から
「添削したほうがいいですか?」とリプライいただいたのだ。
もちろん喜んでお願いし、指摘個所は修正したけれど、それでも
「まだちょっと違うところもありますが、まぁそれは『音のみぞ』次号で明らかにするとして」というコメントを頂戴した。
なので違っているところは絶対にある。(それを了承の上で読んでいただきたい)
だけれども。
もうここが違ってたんですねって報告できる人がいない。
確かにあの場にいた、あのひとはもういない、ことが信じられない。
かしこさんがtwitterに挙げていた「本人はのほほんとしたいい顔していた」が唯一の救い。
火を付けないたばこを、口にくわえたまま作業するさまがずっと脳裏に浮かんだまま。
どこにいても、自由で、好きなことに没頭できていればいいなと思う。
放浪の旅に出ている気がする、そうだったらいいなと思う。
早すぎる死を悼みます。合掌。
松田さんのことは、今はなきGazioで開催していた
「ニューウェーブとはなんだったのか」というイベントで知ったのだった。
注釈
松田さんは、平沢さんが「旬」というユニットを組んでいた時のメンバー。
覚書によれば、2015年11月22日(日)。
Gazio最後の日(閉店)が、2015年11月末日と発表された後だったので、
それまでに何とか口実をつけてGazioに行きたいと思ったのが参加の発端。
失礼ながら、名前を聞いてもピンと来ない状況での参加だった。
松田さんの印象はというと、自身が興味があることをとことん楽しんでいる人。
そして、音楽の人というより技術屋さんという印象を持った。
(EnergyWorksの頃の平沢さんの印象に近い)
当日のことは別途ブログに書き起こしているので興味がある方はこちらへ。
ニュー・ウェイヴとカフェ/クラブ〜 松田勇治が語るナイロン100%からGazioまで 〜
このブログには後日談があって、twitterで掲載報告をしたら、松田さんご本人から
「添削したほうがいいですか?」とリプライいただいたのだ。
もちろん喜んでお願いし、指摘個所は修正したけれど、それでも
「まだちょっと違うところもありますが、まぁそれは『音のみぞ』次号で明らかにするとして」というコメントを頂戴した。
なので違っているところは絶対にある。(それを了承の上で読んでいただきたい)
だけれども。
もうここが違ってたんですねって報告できる人がいない。
確かにあの場にいた、あのひとはもういない、ことが信じられない。
かしこさんがtwitterに挙げていた「本人はのほほんとしたいい顔していた」が唯一の救い。
火を付けないたばこを、口にくわえたまま作業するさまがずっと脳裏に浮かんだまま。
どこにいても、自由で、好きなことに没頭できていればいいなと思う。
放浪の旅に出ている気がする、そうだったらいいなと思う。
早すぎる死を悼みます。合掌。
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