2019年11月23日土曜日

文字起こし Back Space Pass FUJI ROCK '19 + 戦法STS 編①

0'34" 口上
えーこんばんは。平沢進でございます。
えー平沢進のBack Stage Pass、『FUJI ROCK'19年 プラス 戦法STS編』ということで、あろるの館、青の間よりお送りいたします。

ご新規さんが多いと思いますんで、いったいこのBack Space Pass   略してBSPと一般的には呼ばれていますが   は何をするものかと言いますと、ライブ等のイベント、大きめのイベントが終わった後にこのようにしてライブ放送で、そのライブにまつわるエピソードとか、そういったものをお話すると。
で、まぁ時間があれば質問に答えるというような番組です。

それで本日は、ちょっとここ目まぐるしく様々なスケジュールが動いてきましたので、FUJI ROCKと戦法STS BATTLES前座編を合体して一つの放送でやりたいと思っています。
ですのでもしかして時間が足りなくなりまして   大体1時間位やるつもりですけれども 時間が無くなって多くの質問には答えられないかもしれないので、その辺はご容赦ください。

2'04" FUJI ROCK参加への経緯
それではまずFUJI ROCK編なんですけども、「なぜFUJI ROCKに参加したのか」ということが色々な方面から問われまして、ごもっともだなぁと思います。

ずっとヒラサワはデビュー当時以外、フェスティバルとか複数のアーティストが登場するイベントには参加してこなかったので、突然こんな参加が決まるということは稀なことです。

と言いますのも前々から言っていますように、ヒラサワ10年周期で何かの大きなきっかけが訪れて、その先の進路が変わっていくというようなことが必ず10年毎に起きています。
これは経験的に確信されていることでありまして、その10年周期の最初の入り口ですね。

最初の1年2年というのは、来るもの拒まずという姿勢でいるほうが、のちのち面白い展開になるということを経験的に知っていますし、それに普段だったらば考えもしなかった選択肢を柔軟に取っていくというふうに、自分自身も姿勢をやわらげて対峙しているというような状態です。

そんな中で   「回=回」でしたっけ、前回のライブは   で、二人の会人が登場して、二回目の登場ですね、白会人になった時に色々話しているうちに、会人がフェスに興味を
抱いているらしいという感触を得まして、これは確かめるべきだと思いまして、撮影も
兼ねまして沖縄に連れ出したワケですね。

そこで夜な夜な私の部屋に集まりまして、「どうなんだ」と。「フェス、出たいのか」みたいな話を冗談半分で言っていたところ、割と本気で感心を持っていると。
で、「出られるなら面白いね」というような話の流れになってきまして、
「なるほどそれじゃあ、私ではなくて、会人をFUJI ROCKに送り込んでみようか」
ということで、帰ってきてからすぐに企画書を書きました。

で、その企画書というのはもちろんFUJI ROCKのオフィスに提出するものなんですが、まあ企画書というより簡単なプロフィールですね。
それを添えて「こんなのどうか」というプレゼンをしようと思って、企画書めいたプロフィールを書いたわけですね。

その時には「会人+平沢進」という見出しで書いていました。
えー、これちょっと読んでみましょうかね。
今企画書がここにありますんで、どうせどこにも公開されずにボツになってしまったものですから。
ここで私が書いた会人のプロフィールというものがあります。
もう盛りに盛っていますね。これをFUJI ROCKのオフィスに提出いたしました。

5'55" 企画書
2017年7月、平沢進のソロライブ「第9曼荼羅」のステージに突如として現れた謎の二人組「会人」。
様々な楽器を操る奇妙なパフォーマンスで瞬く間に聴衆の感心をさらった。
続く2018年9月から始まった平沢進のプロジェクト「核P-MODEL」のステージにも姿を現し、グレードアップしたパフォーマンスで聴衆を魅了し、不動の人気を獲得した。
それぞれが「SSHO」「TAZZ」と名乗る会人の正体は不明で、その活動履歴さえ存在しない。
文字通り突如として出現したった2度のツアーに参加しただけの会人だが、すでに多くの人々から「次はいつ見れるのか」「ぜひまた会人を呼んでほしい」という声が上がっている。
その会人がなんと、夏のフェスティバルに乗り込もうと画策している。
独自のビジュアルとミスマッチする60年代のサーフサウンドに、80年代テクノのテイストを加味した奇妙なバランスで人々の脳を直撃しようとしているのだ。
さらに平沢進をゲストに迎え、

   ここはもうヒラサワ、ゲストなんですよね。ゲストでほんの数曲出てサヨナラって引っ込む予定だったんですけども  

彼のオーケストラ+電子音+サーフサウンドからなるミュータントな音軍放射を加えた異常事態ショーを錬成すべく日々密会を繰り返しているという。
突如として現れた会人が主役として初めて繰り広げるショーの目撃者は幸いである。
なぜなら会人はまた何時消え去るかもしれないからだ。

というふうにまとめた履歴書 兼 企画書を提出したわけです。
それからほどなくして、この「会人+平沢進」という表記のしかたを逆にしてくれないかというオファーがありまして、まあ「平沢進+会人」ですね。無理もないと思います。
実行する主催者側としてみればなるべくお客さんを集客もしたいだろうし、それからいきなり「会人」と言われても誰だかわかんないということもあるだろうから。

8'21" 参加計画
私は当初、会人を送り込んだとしても、それこそ「100人集まればいいな」ぐらいの小規模なところでやるつもりでいたんですが、なんと「もし表記を変えてくれるならば、ちょっと場所も広げる」ようなニュアンスを感じましたものですから、これはいいやということで「まあいいでしょう」というふうにお答えして「平沢進+会人」というふうに変更した途端に、世間であっという間に話題になってしまいまして、後に引けない状態になってしまったんですね。

これは仕方ないということもあって   あ、その前にまだまだ会人をメインで出すという
決定のもとに下準備というのがあって、その時に実は、同時進行してBATTLES関係のオファーもあったんですね   で、それならばBATTLESとFUJI ROCKと同じセットで行こうと。
同じセットで行くならば、BATTLESのほうにむしろ形態を合わせて、ドラムを調達しようというふうに考えたわけです。

会人はワンステージこなす分の曲がないですから、会人2人と私と3人で分担して曲を作っていたんですね。曲を作っている最中にドラマー探しも始めました。

ドラマーは私が、あまり申し上げづらい話ですが、あまりミュージシャンミュージシャンした人が昔から好きではなくて、わりと畑違いの人、例えばベーシストをキーボードにしたりとかっていうようなことをしながら、あるいはそこにいたお客をステージにボンと上げたままメンバーにしちゃうみたいなニュアンスで、ずっと私はメンバーを採用してきた傾向にあるもんですから、今回もあまりドラマードラマーしていないほうがいいかもなということで一人発見したんですが、ドラマーではない人です。
ドラマーではないんですが非常に興味深いキャラクターで、かつ実はライブでドラムも叩くこともあるということで色々交渉しながら、それからリハーサルを見ながら軌道修正したり色々な要望を出したりしているうちに、これはすでにtwitterでもお話しておりますが、突然反会人、これは反会人として告白した人間ですが、突然消滅してしまうわけです。
反会人が消滅してしまい、ドラマーがいないステージ、今からドラマーを探したのでは間に合わないということで、急遽その場所にテスラコイルを置くという発想になりました。

で、テスラコイルを置くからにはスタッフもフルセットで持ってかなきゃならないと。
で、どうせならもうヒラサワフルセットで行こうということで音響、照明も連れてFUJI ROCKに参加すると。
で、テスラコイルを置くからにはテスラコイルが最も映える曲という意味で「夢みる機械」が選曲されたわけです。
ですからFUJI ROCKに乗り込んで「夢みる機械」をかまして、力技で納得させようとかそういう考えではなくて、あくまで結果論です。
その結果、あのようなパフォーマンスがステージの中に登場したということです。

それと準備を重ねましてリハーサル、ゲネプロをやってくうちに、やはり先ほど申し上げましたように「ヒラサワ+会人」という形であちこちで話題になり始めていて、これはちょっとその名前の通りのスタイルに変えるべきじゃないのか。で、なんとその頃にはもうどこのステージでやるかというのが決まっていて、RED  MARQUEEだということになっていまして、これは一大事だと。
100人クラスで考えていたものが5000人クラスとなると、私の責任があるということで、超新人「会人」をメインにするのではなく、例によってヒラサワメインに会人が加わるといういう形に変更してまで参加せざるを得なくなってしまったということですね。
これは嫌々ということではなくて、むしろ嬉しい展開でした。

14'20" FUJI ROCK 1年生
それでいろいろゲネプロを重ねてステージもできあがり、内容もできあがり、音響のバランスも取れ、モニターのバランスも取れ、これを一切動かさずにそーっとそのまま会場に運んでいけばそのまま再現されるはずだというところまで固めて本番に挑むわけですが、何しろFUJI ROCKには初参加ですし、私はミュージシャンでありながら何も知らなかったわけですね。

ちょっと調べてみると何かえらく大変そうで、まるでサバイバルゲームのような、大変なお祭り騒ぎだということがわかりました。

ほとんどが雨で、ホントに大変な重装備でお客さんも参加していると。
長靴はもちろんのこと、色々な、まるでコンサートに参加する人の出で立ちじゃないような重装備で参加しているというその光景もわかり、そんな大変なところに行くんだろうという覚悟を決めつつ、一番問題なのは、渋滞ですね。

観客の車で起こる渋滞に出演者の車が巻き込まれて遅刻するというのは最もみっともない状態だと思いましたので、ルートを念入りに考察し、これは会人が担当してくれたんですが、どこをどう通ってどこで降りて、たとえ遠回りでも渋滞に巻き込まれないようなルートを決めてくれたわけです。

それで首尾よく渋滞には巻き込まれず、また遅刻もせず現場にたどり着けたわけですが、チェックインしたとたんもう土砂降りでした。
どのくらい土砂降りかというと、私の部屋の窓から駐車場が見えるんですが、駐車場の横に川があるんですけど、水が川と駐車場の両方を覆う水位、要する川がなくなってしまうぐらいの状態になっていまして、「これ明日やるんだろうか」と考えながらも、実はその状態でもまだステージではライブをやっていたという。

さすがにみなさんずぶ濡れで、見る人も大変だったと思います。
また窓から見えるちょっとした山の斜面のようなところにテントを張って、そこで寝泊まりしている観客の人たちがいるんですが、その下のほうに、後で聞いたんですがスタッフのテントみたいのがあって、上の方から水がざーっと流れて行ってるのがよくわかるんですよね。
恐らくだからあのスタッフさんたちも大変な目にあったんではないかと。
よくもまあこんなことを毎年やっているなと、非常に感心いたしました。

それで当日、たくさんミュージシャンの方々も、他のアーティストのライブを見るために会場の中を普通に歩いていたりするんですけども、その日出演しているアーティストでもちゃんと長靴を持ってきているという、この「フェス慣れ」というか「FUJI ROCK慣れ」具合には脱帽いたしまして、私たちはもう長靴もないし、カッパもないし、何というかど素人丸出しという感じでちょっと肩身が狭い思いを、というか不真面目さを感じました。

当日そのライブが終わって楽屋に挨拶に来てくださった他のアーティストさんたちも、当日出演したにもかかわらず、見ると長靴を履いていたりとかですね、そのような重装備でみなさんよくわかっていらっしゃると。
我々はとにかくFUJI ROCK 1年生、新入生みたいな感じで非常に不真面目さを痛感いたしました。

19'29" 食事について
それとやっぱり私の場合、ハンディというか我が儘と言うか、食事が特殊ですので心配だったんですが、まあ主催者が最近私のライブの主催も行ってくれていますイベンターさんで、主に外タレを扱う組織ですので、ベジタリアン、ヴィーガン、ピタゴリアンの食事はお手の物ということで、普通にリクエストするでもなく、あれだけたくさんの外人がいるわけですから、多くの方がヴィーガンだと思います。そういうわけで食事の内容も全くストレスなく、簡単にピタゴリアン対応のメニューを摂ることができました。

後で知ったんですけど、アーティスト用のレストランがあったらしく、私は朝起きまして、「どうなっているかなー」と、「これだけ外人さんがいるからちゃんとヴィーガン向けのメニューもあるだろうなー」と思って、「食堂行ってみよー」と思って行ってみたんですね。

さすがに大きな食堂に人がごった返していて、世界中の人がいるわけです。
そうじゃなくてもアーティストが泊まっている棟には世界中のアーティストが泊まっていてうろちょろしているわけですから、同じような雰囲気がその食堂にはあったんですね。
私は難なくピタゴリアンメニューを自分でとりわけて、窓辺に、窓の外に向かって野菜を食べたりジュース、スムージーを飲んでいたりしたわけなんですが、何とそこは、後で知ったんですけど一般の方々の食堂だったらしく、私は一般の方々の食事を盗んでしまいました。

で、後に案内された出演者それからスタッフ専用の食堂に行ったら、それはそれはタワーのような冷蔵庫に、有機野菜、有機フルーツのジュースがダーッと積み上げてあって、そして例えばスパゲティのソースも普通のソースとヴィーガン用のソースと別々にあったりとか、そういうことで、食事については全く問題ありませんでした。

今まで、無理言って、「すいません、ホントすいません、ワガママですいません、大変でしょうけどこれ私のお昼のお弁当こういう風にしていただけますか」みたいにやってきたことが嘘みたいですね。

23'05" 楽屋について
それからですね、楽屋です。
私は過去にいくつかフェスティバルというかイベントに参加したことがあるので、そういう場合ほとんど楽屋がないということを認識していました。
一つ大部屋みたいなものがあって、出番が近づくとそこに入り、出番が終わるとそこを次のバンドに空け渡すというような形態だと思っていたんですが、ちゃんと楽屋があって。
しかもそれも時間でローテーションされているんですけれども。とてもたくさんの出演者がいるので。

ホテルの、おそらくあれ地下ワンフロア全部楽屋だったんじゃないかな。
で、非常に長い長い廊下の両脇が全部アーティストの楽屋で、私たちの楽屋もちゃんと結構大きな楽屋でしたね。
ちゃんとソファーもあり、冷蔵庫もあり、ビールもあり、みたいなちゃんとした楽屋でした。

ところが、これは別に主催者の責任でもホテルの責任でもないんですが、あれだけの雨が降って、地下のフロアに影響が出なかったのかというと、出ておりました。

なんとトイレの床に水が…そうですね…このぐらい(5cm程度)、溜まっていました。
もちろんこれは、スリッパとかサンダルはだめですね。
私の靴でもこう先端は浸水しておりました。このぐらいトイレに浸水しておりました。
それほどひどい雨が降ったということだと思います。

25'05" FUJI ROCK本番
それから翌日出番の時間が近づきまして、我々は楽屋に集まって、最終的な段取りのチェックとか、それからまあ色々話し合いながら出番を待ちました。
その間にも雨が降ったり止んだりだったと思います。

そして、このまま楽屋から我々のステージRED MARQUEEまで歩いていける距離ではないので、まさか歩いて来いとは言わないだろうなとは思っていましたが、ちゃんと雨の中でも濡れないように大きなワゴン車が待機していて、そのワゴン車に乗ってRED MARQUEEの裏の控え準備スペースみたいなところ、バックステージですね、かなりでかいバックステージに到着いたしました。

それで、久々のフェスティバルですね。
多くの私のファンの側の人たちが、フェスティバルに出るのは信じられないというような言われ方をするほどフェスティバルとは無縁だったわけですから、まあフェスティバルが好きで、野外でとにかくノリノリで楽しむ、あるいは夜ちょっと一杯飲んで、気分を高揚させてノリノリで楽しむみたいな人たちにとって、一体ヒラサワはどうなんだろうと、若干の不安がありまして、これは嫌われても仕方ないなと。

むしろお邪魔する覚悟で行って、そこはもう缶とか飛んで来たら謙虚に「すいません」て謝ろうと思うぐらいの謙虚な気持ちで挑んだわけですが、何とパンフレットを当日見ましたら、事前のネット上での評判もそうだったんですが、何かものすごいことが書かれているんですね。

「奇跡」みたいな。「ヒラサワがフェスに出るのは奇跡」みたいなことが書かれていて、もちろんパンフレットにも書かれていて、もう、どえらいことが起こると言わんばかりのことが書かれていて、ちょっとこれは「この通りじゃなかったらどうすんだ」と。「ヒラサワインチキと言われてしまうじゃないか」みたいなぐらいに好意的に書いてくださっていて、恐らくこれを見たら誰でもちょっと「ヒラサワって何だ」と、「見てみたいな」と思うぐらいの書かれ方をしていたんですね。

そんなことですから、おそらく出た瞬間はたぶん盛り上がるだろうと。
でも一曲目終わったときにどうなるかわかんないっていう若干不安を抱えつつ、バックステージに降りたんですよね。車から。

そしたらこのときに独特な感覚、P-MODELがデビューして1979年か80年のXTCのサポートをやって京都まで一緒に行ったとき、初めて京都で演奏するときの感触と似た感触があったんですね。

それは、何がどうっていうのではなく何かこうひしひしとスタッフの気の張り方とか、スタッフの緊張の仕方とか、みたいなものからたぶん伝わってくるんだと思うんですけれども、バックステージに大勢のスタッフさんたちがいて、楽器の転換や、それから色々もやるスタッフさんがいて、私の顔を知っているスタッフさんもいるし、知らないスタッフさんもいると。そういう人たちがですね、なんか視線を感じるんですよ。

これは気のせいかもしれないんですけれども、もう気持ち的には嫌われ……つーか客に拒絶されたらされたでしょうがないなあ、みたいな気持ちがあるんで、誰かに見られると、何かちょっとやっぱり「視線が刺さる」みたいな感覚があるんですけれども、どうも私が受けている感じだと、「出た出た。これがヒラサワか」みたいな雰囲気があって、その時「これはいただきだ」と。

これ初めての京大西部講堂で感じたのと同じで、「これ、もういただき。あと安心して良し」みたいな確信めいたものを得たわけですね。
で、ちょっとステージが見えるところまで歩いていくと、お客の状態とか、やっぱり周りのスタッフの状態とかから、「やっぱりこれ、勝ちかも」みたいな感覚を得たんですね。

そのあとはもう不安はなにもなくなって、ほぼ半笑いみたいな状態でステージに出たら、ご覧のとおり温かく声援をいただきまして、受け容れていただきまして、現在に至るということで、本当にみなさんありがとうございました。
ということで、ここまでFUJI ROCKのお話でした。





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